知る人ぞ知る、孤高の日本人テーラー

知られざる日本人テーラー

最近よくメディアで見かける海外在住の若い日本人テーラー。日本のテーラー文化は風前の灯火ですので、仕立て服文化がまだ根強い海外で活躍するのはひとつの方法かもしれません。

実際、海外の有名テーラーの工房に現地人がいることは稀で、ロンドンでもナポリでも、実際に鋏を持ち、針と糸を持っているのは東欧やアジア系の人たちが多いそうです。なるほど、工房取材を拒むわけだ。有名な話ですが、パリの某日本人テーラーは、技術もセンスもあったのにオーナーから、日本人をうちの店のトップに立てることはできない、といわれたそうです。フィレンツェの有名なテーラーでは、VIP顧客の注文を手がけるのはグルジア人の夫妻の仕事で、その他のオーダーは韓国人職人が手がけているとか。

イタリアで聞いた、ある日本人の若者の話です。ナポリへテーラー修行に行きたかったのですが、イタリア語も話せなければ海外経験すらまったくない。まわりから「いきなりナポリは危険すぎる」と諭され、比較的治安の良いフィレンツェに語学留学することにしました。3ヶ月ほどで、ようやく挨拶程度、カタコトのイタリア語ができるようになった頃、たまたま覗いた某有名テーラーの店先で、「ここで働きたいのですが」という覚えたてのイタリア語を使ってみると、運良く店にいたオーナーが対応してくれました。イタリア人オーナーが早口で彼に何かをまくし立てるので、とりあえず名前を名乗り「ここで働きたいのですが」というフレーズを繰り返していたところ、オーナーが奥からプリントアウトした書面を持ってきました。書面を見ると、なにやらイタリア語が書いてあり、最後に自分の名前が入っています。「ははぁ、これは労働契約書だな」と勘を働かせた彼は、書面を見せるオーナーに、「Si,Si(イタリア語でYes,Yesの意味)」と繰り返すと、どうやら明日から店に来いと言われました。こうして翌日から彼は工房で雇ってもらえることになったのです。数ヶ月後、べつの日本人の若者が店を訪れて「ここで働きたいと手紙を書いたものです」と言うではありませんか。すでに工房で修行していた彼と新たに訪れた彼の名、じつは下の名が同名だったのです。最初に訪れた彼のことを、熱心な手紙を送ってくれた後からきた彼と思い込んだオーナーの勘違いだったのです。オーナーは一言「もうしわけないが、工房はいま人手が足りているので」と、手紙の主の彼を追い返してしまったそうです。店に入れた彼は、真面目な仕事ぶりが評価され、その後独立しました。いまでは日本国内にも顧客を抱えて、年に数回来日して高級ホテルで、オーダー会を開いています。

運悪く、店に入れなかった同名の彼は、その後どうなったのでしょう。気になりますよね。じつはこの話、先に工房に入った彼から直接聞いたもので、どのときは「へー、神様のいたずらみたいな話だね」なんて思っていたのですが、最近になって工房に入れなかった彼と出会いました。彼はフィレンツェを離れ、ナポリで著名なサルトの工房をいくつもまわり、ある有名テーラーの工房に入ることができました。すでに日本に帰国し、いまは個人でアトリエを構えています。そこで目の超えたマニアックな顧客に向けた仕立て服を作り続けています。メディアが取り上げることはほとんどありませんが、ナポリで鍛えた凄腕は僕が保証します。気になる人はAnglofiroを探してみてください。アトリエの場所は明かしていません。

 
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