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ゲンスブールに憧れて

誰かに憧れ真似ることからお洒落は始まる  いい大人が年若いモデルの着こなしを真似ることには抵抗あるという声を聞いた。自分と似通った年齢や容姿でないとリアリティを感じられず、おしゃれのお手本にしにくいという。確かにそうかもしれない。ファッション誌を眺めても、流石にこのままコーディネートを真似たら無理に若作してるように見えるだろうということは、なんとなく想像がつく。かといって年相応のファッション誌を買う気にもならず、ファッションセンスが昔のままで停滞しているのは、シニアあるあるではなかろうか。  流行りモノを追いかける必要はないが自分なりの装いを見つけるためには、「あの人、お洒落だな」と憧れる誰かを見つけることから始めるのが確実だ。10代の頃、お洒落な同級生や先輩の服を真似して丸井のセールに並んだり、地元のテーラーでコンポラをオーダーした経験があるなら、さて今、誰に憧れよう。  社会的な地位や仕事や、その他諸々の事情を一切鑑みず、あえていうならセルジュ・ゲンスブールに憧れる。ちっともイケメンではないのに絶世の美女にモテモテで、酒と煙草を好きなだけ嗜んで、可愛い愛娘を溺愛し、「俺はすべてに成功したが、人生にだけは失敗した」という言葉を残して、ある日突然この世を去る。いつも酒臭く、服はヨレヨレで髪もボサボサ、無精髭も剃らないデカダンスの権化だが、今も多くの人々に愛されてりて不思議な魅力がある男だ。自分にはまともな仕事があるし大切な家族もいて、酒も煙草はほどほどにして健康にも気をつけている。絶対にゲンスブールにはなれないからこそ憧れる。  白シャツは洗い晒しで着る。デニムシャツも同じく、前ボタンは3つほど開け、上質なテーラードジャケットを羽織る。よく色落ちしたデニムを履いて白いスニーカーを履いたら、きっとゲンスブールになれるはず。そう思いながら鏡を見たら、単に時代遅れのヨレヨレオヤジがいた。シャツのボタンを留めグレーのウールパンツを履き、スエード靴を履いて家を出た。いつかゲンスブールになれる日が来ると信じて。 ... 続きを読む


福澤幸雄のブレスレット

もうひとりの「日本のジェームズ・ディーン」に捧ぐ  袖丈が短くなると腕もとが心もとない。さりげなく、ブレスレットを付けてみてはどうだろう。  福澤幸雄をご存知だろうか。誰もが知る日本のジェームズ・ディーンといえば赤木圭一郎だが、福澤幸雄は赤木の死から8年後、レーシングカーのテスト走行中、不慮の事故でこの世を去った。赤木は21歳のとき撮影所内で事故を起こしジミーと同じ2月21日に亡くなったが、福澤の事故日は25歳の2月12日、アナグラム的には少しだけ歯車が狂った運命のいたずらにさえ思えてしまう。  カーレーサーだった福澤は、その名字から慮れるとおり福澤諭吉の曾孫にあたる。父は外交員、母はギリシャ人のオペラ歌手。彼自身もフランスで生まれており、英語・フランス語が堪能だった。帰国後、まだクルマが高級品だった時代、慶応義塾大学在学中にレーサーとしてデビューを果たす。彫りの深い日本人離れした美貌から、ファッションモデルとしても活動し多くのCMにも出演している。当時最先端の若者が集まる六本木野獣会のメンバーであり、お洒落も遊び方もスマートなファッションリーダーであった。大学卒業後、当時の人気ブランド「エドワーズ」で役員に就任すると、ファッション業界とモータースポーツの発展・繁栄に身を尽くしていたという。  福澤家の血筋を引く上流階級出の、誰からも好かれる好青年。海外事情に精通しウェルドレッサーであった彼の華やかなライフスタイルは、いまも語り継がれていて、シニア世代のファッショニスタにとっては伝説的な存在でもある。エドワーズもボージェストも、今では当時とまったく違うコレクションだが、神宮前のテーラー「ミスター・フェニーチェ」では、福澤幸雄を永遠のファッションアイコンと崇めるオーナーが「希望のハンドル」を意味する「ヴォランテ」というブランド名のアクセサリーを扱っている。プレートをチェーンと組み合わせたブレスレットは、福澤が肌身離さず身につけていたデザインを踏襲したもの。もし福澤がいまも生きていたら、きっと相当なイケオジで、ブレスなどさらりと身に付けているに違いない。 https://mrfenice.com/ ... 続きを読む