あの日の僕は編集力の差を痛感しました
いまも忘れられないファッション雑誌の特集記事があります。『Boon』の「UNDER COVER、A BATHING APE、COMME des GARÇONS 三つ巴特集」です。
当時、UNDER COVERとA BATHING APEは裏原宿の「カリスマ」で、藤原ヒロシさんの「ラストオージー」の血統を継ぐ宝島社『Smart』の独占ブランド的存在でした。これが後に『Smart』絶頂期へとつながるのですが、他のストリート誌が取り扱いたくとも制限があって、単品商品の紹介はもちろん、掲載サイズ、並びのブランド、カメラやスタイリストのスタッフ指名などに自由がきかなかったため、なかなか取り上げることができなかったのです
COMME des GARÇONSはカリスマ藤原ヒロシさんが愛用するブランドとして、当時ストリートファッションのなかでは、もっともクリエイティブなメゾンでした。しかしブランド側は、「うちは海外のコレクションに参加するトップモードです」との意識が強く、中学生からの若い読者が読むストリート誌とはお付き合いしないスタンスでしたので、正規ルートで誌面で特集したり、アイテムを掲載することはほぼ壊滅的に無理なブランドでした。
そこへ先の『Boon』の企画。16ページぐらいの特集だったと思います。写真もストリート的でクールなビジュアル、しかもコーディネートはブランドミックスされています(当時、UNDER COVERとA BATHING APEのミックスは『Smart』でもなかったはず)。カタログページには切り抜き写真で、UNDER COVERの有刺鉄線柄のカットソーやレザーショーツ、エイプの”猿顔”のプリントTシャツやスタジャンなど、プレミアムアイテムがズラリと並んでいました。これが、すべて古着ショップやリサイクルショップからの貸出商品だったんです。
この特集が掲載された『Boon』が発売される1年ほど前、僕のいた雑誌では『Nowhere Now Here』というA BATHING APEの特集ページを8Pで企画しました。どうしても裏原のカリスマブランドを誌面に掲載したかった編集部が、苦肉の末にだした結論は「8ページ、A BATHING APEさんの自由に使ってください」というもの。内容からビジュアルから、すべてを明け渡した企画でした。担当編集は僕。A BATHING APEに嬲られるだけの企画を担当したことに、悔しい思いだけが残っていました。
こんな切り込み方があったとは…。『Boon』に完敗でした。正面からドアを叩くことしか知らなかった駆け出しの編集者は、雑誌作りのなんたるかを横っ面ブン殴られて教えられた気分でした。もちろん、こんな横道がいつも通用するわけではないと思いますが、この企画以降、『Boon』は『Smart』に比肩する裏原系ストリート誌にのし上がったのもまた事実。企画力、そして編集力の差を見せつけられたことは、その後の自分のファッション編集者としての考え方に大きく影響を与えました。
いま、クラシックがメインのファションエディターですが、自分のファッションマインドはつねにストリートにありたいと思っています。スーツもジャケットも、革靴も、ストリート的な発想で着ればいいじゃん、って。ルールも大事だけど、そのルールを壊すことをNoというのはナンセンス。服を着るのはブランドでもメディアでもなくて、自分自身です。だからベルベストのジャケットに短パンを合わせるし、ジョンロブをジーンズではくし、サルト仕立てのスーツをTシャツで着るんです。ノールールじゃなくて、MYルールなんです。
『Boon』復刊の報に、20代の編集者時代の気持ちが蘇ってきました。